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2.ビスケット工場を芸術文化の拠点に
2−1.ナント市概要

 ナント市は、パリの南西380kmにあたり、パリのモンパルナス駅よりTGV(フランス国鉄の新幹線)で約2時間かかる。TGVはパリとナント間に、1時間に1本運行されており、パリからは比較的便利に行ける都市である。現在人口27万人を擁し、フランス国内で7番目の規模、ロワール地方で最も大きな町である。ナント市を含む24の自治体で広域行政圏を形成しており、圏内人口は広域圏で約56万で、これはフランス国内で5番目の規模である。
 市域はロワール川に沿って発達し、西へ55kmほど行くと大西洋へとつながっている。歴史的には、ブルターニュ公国の首都で、15世紀にフランスに併合される。現在行政圏としては、ロワール地方に属するが、ナントの市民にはブルターニュの意識が強い。また、ケルトの古い文化があり、言葉もブルトン語という方言があるなど、独自の文化を残している。
 歴史上、1598年アンリ4世による「ナントの勅令」で知られる。バチカンに対して教皇をたて、政教分離を宣言し、信教の自由を認め、宗教戦争に終止符を打った。
16世紀から18世紀の大航海時代には、ヨーロッパ大陸とアフリカ陸とアメリカ(西インド諸島)間での三角貿易が盛んであった。三角貿易は、奴隷貿易とも呼ばれ、アフリカで黒人を調達し、アメリカで奴隷として売りさばき、代わりにプランテーションで栽培された砂糖、カカオを本国へ持ち帰るというものだった。ナントはフランス国内一の貿易港として、18世紀から19世紀まで三角貿易で栄えた。こうした貿易による物流の拠点として、ナントでは食品加工が盛んになっていく。砂糖とバターを使ったビスケットやガレットのようなお菓子類は、現在もナント名物の一つである。
また市街には、当時貿易で財を成した商人の特徴的な邸宅が今も立ち並んでいる。しかし、奴隷貿易は、ナント市民にとっては、暗い過去と隠蔽されがちであった、1992年にブルターニュ城で奴隷貿易を紹介する展覧会が開かれ、ようやく歴史と向き合う機会が設けられた。
 近代に入ると、ロワール川沿いに造船業が発達するが、20世紀に入り、河口のサンナゼールに移転していく。戦後しばらく工業都市として栄えるものの、1970年代以降重厚長大産業衰退に伴い、ナントの町も活力を失っていく。

 2−2.文化事業による都市再生
ナント市は、重厚長大産業衰退後、都市再生をさまざまな文化事業も含めた大胆な都市政策で成功させている都市として、現在国内外でよく知られている。その再生ぶりは、フランスで最も住みやすい都市として名前が挙げられるほどであるという。
ナント市の文化政策は、文化局長のジャン・ルイ・ボナン氏によれば、以下の大きな2つを基本的な柱として進められている。

(1)歴史的建造物の保存と活用を通じ
   地域固有のアイデンティティを明確にしていく

(2)実験的かつ国際的な事業を実施することで
    外部へ向かって積極的に開いていく

例えば、現在進められているブルターニュ大公城の歴史博物館としての大改修は、前者の方針に基づくものである。
城の中の博物館としては国内最大
で、2007年にオープン予定である。
また、以下の3つの芸術フェスティバルはナント市における特徴的な事業として知られている。

○ラ・フォル・ジュルネ(La Folle Journee「歓喜の日日」)
毎年1月に行われるクラシック音楽の地域密着型フェスティバルである。テーマや料金、演奏形態に工夫を凝らしており、普段クラシック音楽に縁のない市民が大勢コンサートに親しむということで評価が高い。優れた開催方式として、このフェスティバルの枠組みはパッケージ化され、リスボンや、ビルバオ、東京など海外の他の都市にも取り入れるところが生まれている。

○3大陸映画祭
毎年12月に、アフリカ、アジア、中南米で製作された映画を上映するもので、すでに四半世紀を超える歴史を持つ。三角貿易の歴史を振り返る意味も込められており、他の大規模な映画祭では上演されないような良質な映画が取り上げられることで、評価が高い。

○野外演劇集団「ロワイヤル・ドゥ・リュクス」の誘致と街頭公演
 もとは、ツールーズを拠点に活動していた大道芸集団をナント市へ誘致した。巨大な操り人形や想像上の機械を製作し、街頭でイマジネーション豊かなパフォーマンスを展開する破格の芸術集団である。そのパフォーマンスは、子どもから高齢者まで、路上のすべての人々が体験できるもので、また芸術的な価値も高く、国際的な評価を得ている。

こうした特徴的な文化事業は、入念な都市政策と共に発展してきたもので、例えばナント市は、トラム(路面電車)を都市内公共交通としてフランス国内で最初に復活させた町としても知られる。トラム復活とあわせて、パーク・アンド・ライド、バス交通網の拡充をはかり、公共交通の利用を促進した。都市内の交通渋滞解消を直接的な目的としながらも、快適な歩行者空間の確保、美しい街並みの創出、適切な事業所空間の創出などにつながっている。さらに、来街者の回遊性を高めようと、自転車道の整備とともに市内貸自転車スポットの創設、徒歩による観光コースの充実と観光案内所などでの決め細やかな情報提供、さらには、河川交通の復活を実験的に始めている。これらの施策は、ナント市民の「生活の質」を高めるために構想実施されているもので、そのことが、市外の観光客らをひきつける魅力につながると考えられている。
こうした政策展開は、若手市長の活躍によるものである。1989年に39歳でナント市長に選ばれたジャン=マルク・エロー市長は、現在、広域都市圏の議長も努める。現在3期目とつとめるが、ナント市長へ就任する前は、隣接する人口30,000人のサンテルブランの市長を1977年、27歳の時から2期務めていた。
 エロー市長は、フランスの元文化相ジャック・ラングが自治体の首長であった時にその右腕を勤めた経験のあるジャン・ルイ・ボナン氏を市の文化局長に抜擢し、果敢な文化政策を展開していく。市の文化事業予算は、市予算全体の15%をしめる。これは、2005年の数字で言うと、約86億円の規模である。

2−3.リュー・ユニック(Le Lieu Unique)活用へ至る経緯

 そのナント市で、オルタナティヴ・スペースを芸術文化発信の拠点として活用している例がある。かつてのビスケット工場を活用した「リュー・ユニック(Le Lieu Unique)」は、フランス国内でもよく知られる文化施設となっている。名前は、フランス語で「唯一の場所」という意味であり、またその頭文字「LU」は、元のビスケット工場とビスケットそのものの名前でもある。「LU」は、ナント市の工場から郊外へ移転しているが、ビスケットの生産は続けており、現在でもフランスで最もポピュラーなお菓子である。
リュー・ユニックは、ナントの中心市街地から徒歩10分から15分程度、フランス国鉄ナント駅から、トラムで一駅と、市街地から近い場所にある。活用されているビスケット工場は、LU創始者の2代目Lefevre Utileが1886年に建設したもので、20世紀を通じ、LUのビスケットを作り続けてきた。工場の郊外移転に従い、その他の機能と工場はなくなったが、活用されている工場部分は最後まで残った建物である。1998年に改修工事が行われ、2000年1月にリュー・ユニックとしてオープンした。
 そもそもビスケット製造のLUは、1846年若き菓子職人ジャン・ロマン・ルフェーブルが故郷を離れ、ナントにやってきた。ケーキ屋に勤めたところに始まる。1850年、Lefevreはポリーヌ・ユティルと結婚し、その店を継ぎ、マジパン入りのお菓子やマカロンなど贅沢な次々とお菓子を生み出していく。ナントは、日持ちのする船乗りのためのビスケットに特化されていたので、これは一つの冒険だった。しかし、LUのビスケットは次第に有名になり、彼らは新しく工場を建てようと、旧市街の反対側にある土地を求めた。18世紀には、茫漠たる野原だったところが、産業時代になり、次第に工場が建ち始めた。
1886年息子のルイに世代交代する。ルイはデザイナーとしての能力に非常に優れており、プチ・ビューレというビスケットをデザインするが、これはその後のビスケットの定番の形となりLUのトレードマークともなった。現在も観光案内所やヨーロッパの雑貨屋で、このビスケット型のグッズが販売されているくらいである。
売り上げが伸びるにつれ、工場を拡張し1954年までには、工場の広さは、5ヘクタールを占めるようになっていた。
1903年から1909年にかけ、ブルターニュ公の城と向かい合うように、二つの塔が工場の門のように建てられた。設計はパリの建築家で、アール・ヌーヴォーの影響が見られる。1950年頃には、2,000人が働く工場で、ナント市民の多くが雇用されていた。
1968年にLUは、国際的に知られる大きな食品会社に吸収された。1974年から、生産過程の近代化などから、徐々に郊外に工場も移転し、ついに1986年には工場は閉鎖される。 
1990年代初めから、8,821uという広大な場所を魅力と感じ、劇団の稽古、写真家の現像場所、ロワイヤル・ドゥ・リュクスの作業場、コンサート、展覧会、講演会等々に、さまざまな文化団体が使ってきた、ナント市も黙認する「文化による不法占拠(スクウォット)」で、実験的に使われていった。
1994年、ナント市国立舞台(SN:Scene National)として知られるCRDC(Center de Recherche pour le Development Culturel文化振興のための研究センター:演劇、ダンス、サーカス、映画など多分野にわたる作品普及を行う。文化省の施策として創設された文化活動センターを改編した組織)が、レザリュメというフェスティバルを企画するのに、場所を探していた。フェスティバルは、ここで実施され多くの観客を集めることができた。 
もともとSNは、1984年に設立されて以来、定まった場所を持たず、遊牧民のようにナント市内の様々な場所を放浪していた。そのCRDCのディレクターであったジャン・ブレイズが、このビスケット工場を、文化活動の拠点として利用することをエロー市長に提案した。そこで、1995年には、ナント市が工場建物を購入し、1997年、建築家パトリック・ブシャンのプロポーザルが工場建物の特徴を生かした改修デザインとして選ばれる。ブシャンは、LUのほかにも、パリのパレ・ド・トーキョーなど既存空間を文化的な活用にデザイン能力を発揮している建築家である。

2−4.建物の概要と運営

建物の改修工事は、工場として使われていた頃の雰囲気を残すような設計となっている。 建築家は、ブルターニュ公の城や、大聖堂、美術学校と連携するよう、入り口を「バナナ型」の壁面側に設けることとした。広大な壁面に大きな開口がいくつかうがたれ、壁面の前の空間は、歩行者空間とカフェ空間となっている。工事費は約1億3千万円で、2年間の工事期間を要した。
 建築家ブシャンとディレクターのブレイズは、「音響や電気的な制約が許す限りは、できる限り手を入れない」という方針で改修内容を決定している。未完成という雰囲気が、アートの実験場所のイメージに重要と考えたのである。
 「庭Cour」はもともと工場空間で、主に現代美術の展示空間として利用されている。オーディトリアムは、新しく設計増築された空間である。新しく作られた空間にも、未完成さが感じられる雰囲気となっている。
リュー・ユニックの事業としては、独自の実験的な芸術作品の提示、舞台作品を上演することとしており、前衛的なアートを通じてナント市民に驚きと発見を提供することをコンセプトとしている。アドミニストレーターによれば、常に、革新を求める姿勢で事業プログラムを組み立てているという。

 
基本的には、地元アーティストの育成よりもむしろ国内外の先端的アート、実験的な現代アートを紹介・発信することに力点が置かれている。しかし、多彩な観客が立ち寄ることのできるようなプログラム上の工夫が入念にされている。

○美術
バーやブックショップから中の様子をかいま見ることができるCourで、主に行われている。現代美術の企画であるが、基本的に無料。バーやレストランに立ち寄ったアートに関心のない市民でも、気軽に足を踏み入れることができるような、好奇心を誘う企画展である。

○演劇・ダンスなど舞台芸術
国内外を問わず前衛的な作品を招聘している。日本からは劇団「ク・ナウカ」が『天守物語』を上演。作品制作と興行は異なる仕事であり、リュー・ユニックは、優れた前衛作品の提供を主な仕事と考えている。
 ナント市内のアーティストには、作品の招聘・上演ではなく、作品制作の機会を提供するという事業を行っている。2週間、場所と必要な機器を提供し、稽古、制作を行う。3週目にワーク・イン・プログレスとして一般に公開する。入場料は5ユーロ。

○音楽
演劇・ダンス同様、先端的なものの紹介。しかし、バーでは毎週末、ナント市内外のDJを招いてライブを開催し、ナント市の若者を集める工夫をしている。

○文学・哲学
ブック・フェスティバル「書籍とアート」の会場となっているほか、詩の朗読、国内外の作家が参加するシンポジウムを開催し、文学と哲学もアートの領域に位置づけている。

○その他
建築や、食、などもテーマにアートイベントを企画実施している。またナント大学と提携した企画も展開している。

リュー・ユニックは、これまで文化施設に足を運んだことがない市民へ向けても様々なアウトリーチ的な工夫を展開している。施設全体の稼働率を上げ、開館している間、必ず誰かが施設を訪れているという状態を目指している。それは、「Lieu de Vie(Living Gallery)」とよばれる機能の内容と配置による。1階のバー(カフェ)、レストラン、本屋、ショップをまとめて「生活回廊」と呼んでいるのだが、ここはリュー・ユニックやアーティストグッズを販売するショップ、外部資本が運営している。バーは飲み物の値段が安く、学生やアーティストたちがたまり場となっており、一方のレストランは、バーよりは高級イメージだが、周囲に同様の場所がないため繁盛している。1500円ぐらいからランチメニューがあり、おいしいと評判である。バー、レストランともに、公募で決定している。
 本屋はアート系の書籍が充実しており、以上は、いずれもリュー・ユニックの催しと関係なく、人が立ち寄る空間となっている。
 さらに、リュー・ユニックオープン後に、市民の要望があり、塔も展望台として2004年より公開されている。実際にはそう高くないが、パノラマ展望は自分で床を回転させることによって可能となるようなつくりとなっており、遊び心に満ちていて親子連れが遊びにくる場所となっている。
 以上のことから、ビスケット工場を活用したナント市の芸術文化拠点リュー・ユニックの特色は次のようにまとめられる。
(1)ナント市の歴史に深く根ざした工業施設で市民の愛着が深い場所を活用した。
(2)活用計画以前から、活用後の運営主体やディレクターが試行活用に関与していた。
(3)前衛的な芸術文化の企画事業を行う一方、多様な市民を招き入れる工夫に満ちている。
(4)ナント市の都市政策の中にきちんと位置づけられている。

なお、運営組織には、総合ディレクターのブレイズを筆頭に、現在約40名ほどのスタッフがいる。演劇・ダンス、書籍・建築、文学、ビジュアル・アート、音楽といった分野にわかれ、それぞれ事業企画のディレクション専門担当がいて、事業企画のための陣容が充実している。年間の総事業費は、人件費などの経常経費も含め、約7億6千万円となっており、8割は補助金収入で、そのうち75パーセントはナント市からの助成である。

事業費
項 目 金 額(ユーロ)
美術 355,000
演劇 477,000
ダンス 268,000
音楽 373,100
書籍 266,000
項 目 金 額(ユーロ)
制作 225,000
Li eude vie 137,000
94,800
人件費 800,000
   
総事業費 5,560,260ユーロ=7億6千万円

【参考文献等】
  HP:http://www.lelieuunique.com
国際交流基金『文化による都市の再生〜欧州の事例から』2004年
  Capocci,Sylvie, Le Lieu unique, Editions Scala,2001


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